
PROFILE この記事の登場人物
各分野で活躍するトップランナーに、生まれ育った街の魅力や思い出を語り尽くしてもらうシリーズ企画「わたしの地元のいいところ」。
第4回は、4歳でゴルフを始め、福岡県のゴルフ強豪校「沖学園」のエースとして数々のアマチュアタイトルを獲得した、大東建託所属の後藤未有プロ。今年3月開催の「アクサレディスゴルフトーナメント in MIYAZAKI 2025」では、今季ツアー初、自身もツアーでは初となるホールインワンを達成するなど、順調なスタートを切っています。現在も福岡を生活拠点の一つにしているという後藤プロに、地元の魅力をたっぷり語ってもらいました。
肉玉うどんを食べると「福岡に帰ってきた」という気持ちになります

現在は福岡と横浜の二拠点生活を送っているそうですね。
後藤「一昨年の2月から横浜にも拠点を構えているのですが、それまでは関東で連戦があると引っ越しのような状態で大荷物を持ち歩いていました(笑)。今は小さい荷物で移動できますし、ホテルではなく自分の布団で寝ることで、試合に臨むときの心の落ち着き具合も違います。横浜は寝泊まりするだけで、なるべく福岡に帰っています。私は人混みが苦手なので、地元の方が落ち着きますし、練習環境も整っているんですよね」
福岡は実家暮らしですか?
後藤「いえ。19歳のときに一人暮らしを始めて、今は姉と一緒に住んでいます。私は甘えん坊な性格で、何もかも家族にやってもらっていたので、独立した方がいいと思ったんです。実家にいた頃は母と衝突することも多かったのですが、今は仲良しですし、親のありがたみも分かるようになりました。まあ、今も姉に甘えていますが……(笑)」
一人暮らしを始めて、改めて気付いた福岡の良さはありましたか。
後藤「一人暮らしを始めた頃はゴルフ漬けの生活で、中洲や天神といった地名を聞いてもほとんど知らないぐらい、街に出ることがなかったんです。コロナ禍というのもあって、外食を控えていたので、友達と食事をするときも家で食べることが多かったですしね。街に出てご飯を食べるようになったのは最近で、おいしいお店がたくさんあることを知りました。自分でリサーチもしますが、知り合いの方々が良いお店をたくさん知っているので、今は観光客の気持ちで福岡を楽しんでいます」
特に好きなエリアはどこでしょうか。
後藤「最近はご飯を食べに、西中洲と春吉に行くことが多いです。西中洲は観光客も多くて、海外の方も多く訪れますが、知り合いのお店があるので安心できるんです。春吉は比較的静かなエリアで、路地に入れば大人が集まるオシャレなお店が多い印象ですね」
友達とご飯に行くときは、どういうお店に行くことが多いのでしょうか。
後藤「もつ鍋屋に行くことが多いですね。よく行くのは『やまや』。お店によって、醤油味や味噌味などオススメの味が違うので、その日の気分で変えています。焼き鳥や水炊きを食べに行くことも多いですし、福岡はお肉も海鮮もおいしくて、いろんなジャンルのお店が揃っています」

一人で外食することもあるんですか?
後藤「はい。やっぱりシーズン中は外食が多いですね。だから福岡に帰ると、家で食べることが多いんです。特におばあちゃんが作るキンパ(韓国風のり巻き)が大好きで。おばあちゃんは昔、焼肉屋さんをやっていたので韓国料理が上手なんです。『この日に帰るからキムチを漬けといて』とリクエストもします。外食でいえば、昔から遠征から帰ってきたときに必ず食べるのが『資さんうどん』です」
最近、関東進出して話題になっていますね。
後藤「私の出身地・北九州発祥のお店で、学生時代はラウンドに行く前に食べていました。いつも『肉玉うどん』を食べるんですが、食べると『福岡に帰ってきたな』という気持ちになれるんです。他にも福岡には人気のうどんチェーンがありますが、私は甘めの味付けが好きなので、資さんうどんが一番合っていると思います」

九州ジュニアのレベルの高さが、良い刺激になってました

ゴルフを始めたきっかけを教えていただけますか。
後藤「4歳の頃、小児喘息で入院していたとき、テレビで見たCMに宮里藍さんが出ていたんです。それで興味を持って、両親に『ゴルフやりたい』とお願いして、退院祝いでクラブを買ってもらったのが始まりでした。 最初は公園の木に向かって、柔らかいスポンジボールを打っていたんですが、当時から狙ったところに打てていたみたいです。
私は宮里藍さんの真似をしているつもりで、上手にできているかどうかは分からなかったんですが、大人から『上手だね』と言われるのがうれしくて。そこから練習場にも連れて行ってもらうようになって、ジュニアスクールに入れてもらいました。そこの先生が、今の師匠・篠塚武久さんを紹介してくださって、5歳のときからずっと篠塚先生に習っています」
ゴルフをやっていく上で、地元の環境はいかがでしたか。
後藤「私自身は自分に甘いタイプなのですが、ゴルフに関しては親がとにかくストイックだったんです。『自分でやりたいと言ったんだからしっかりやりなさい』という感じで。学校から帰ったら、すぐに親と待ち合わせて練習場に行くと『ターゲットに全部当てる』とか『パターを100回入れる』とか、その日の課題があって。集中力が切れて適当にやっていると、一度家に帰って怒られて、別の練習場に連れて行かれることもありました。私も嫌々ではなく、『ここでゴルフを辞めたら負け犬みたいで悔しい』と燃えるタイプだったからこそ、続けられましたね」
小学5年生のときに、北九州市から福岡市に引っ越されたそうですね。
後藤「その時点で、福岡市にある『沖学園(多くのプロゴルファーを輩出する名門校)』に入学することが決まっていましたし、篠塚先生も福岡市にいらっしゃったんです。それまでは週2回、北九州市から福岡市に通っていたんですが、学校も福岡市になるということで、家族みんなで引っ越しました」
小学生の頃からゴルフ中心の生活だったんですね。
後藤「あまり友達と遊ぶ時間はなかったですね。同級生は学校帰りに駄菓子屋や公園に寄っていましたが、私は早く帰って練習場に行かないと怒られるのでうらやましかったです。でも試合で学校を休んだ翌日は、みんなが結果を聞いてくれて、『優勝した』と言うと盛り上がってくれたのがうれしかったですね」

福岡市に引っ越してからの練習環境はいかがでしたか?
後藤「練習場が山の上だったので、走って行くにはしんどすぎるというのはありましたが、いろんなコースで練習させてもらえましたし、練習環境は恵まれていました。インドア練習場の近くに公園があって、レッスン生の子たちで走ったりトレーニングしたりしていたのが懐かしいです」
沖学園に入学する時点でプロは意識していたのでしょうか。
後藤「ゴルフを始めたときから『宮里藍さんみたいになりたい=プロになりたい』という気持ちがありました。小学生の頃から九州大会で優勝していたこともあり、周りからも『プロになれるよ』と言われていたんです。ところが私が中学1年生のときに、2年先輩に勝みなみちゃんや大里桃子ちゃん、新垣比菜ちゃんなど、今の黄金世代と呼ばれる強い選手たちと出会ったんです。その年は九州ジュニアで予選落ちしたのが悔しくて、鼻を折られたような気持ちでした」
すぐに気持ちを切り替えることはできたんですか?
後藤「落ち込んでいる暇もないほど練習していましたし、学生は1年すると先輩がいなくなるので、すぐに立ち直れました。プロになると、そういう訳にはいかないですけどね(笑)。それに同世代の選手たちが高いモチベーションで試合に臨んでいるので、競い合うように強くなって、どんどん九州のレベルが上がっていったんです。それが私にとっても良い刺激になりました」