
PROFILE この記事の登場人物

渡邉 彩香 プロゴルファー
1993年9月19日生まれ。静岡県熱海市出身。大東建託所属。9歳からゴルフを始め、2008年に日本ジュニア選手権を制覇。2009年からナショナルチームに入り、2011年の第32回全国高等学校ゴルフ選手権大会で全国制覇。2012年7月、プロテストに合格。2014年3月、「アクサレディスゴルフトーナメント」でプロ初優勝。その後、2015年に「ヤマハレディースオープン葛城」「樋口久子 Pontaレディス」、2020年に「アース・モンダミンカップ」、2022年に「ほけんの窓口レディース」、2025年に「大東建託・いい部屋ネットレディス」で優勝。プロ通算6勝。
2025年7月、猛暑の中で女子プロゴルファーたちの熱戦が繰り広げられた「大東建託・いい部屋ネットレディス」。激戦を制し、栄冠を手にしたのは渡邉彩香選手でした。大東建託所属10年目、そして自身が第1回から参加している「大東建託・いい部屋ネットレディス」の記念すべき第10回目で、「ホステスプロ」として念願の優勝を果たした渡邉選手。
約3年ぶりとなるツアー6勝目を挙げ、その目には涙が浮かびました。シード落ちと復活を繰り返しながらも自分を信じ、仲間を信じ、大東建託と共に乗り越えてきた10年間の軌跡をたどります。
飛躍期:華々しい活躍でスポンサー契約から所属選手に
渡邉選手は2015年、21歳で大東建託とスポンサー契約を締結。初年度から、目覚ましい活躍を見せました。
豪快なショットが武器の大型新人
静岡県出身、9歳からゴルフを始めた渡邉選手は、172cmの長身から繰り出される豪快なショットを武器にジュニア時代から頭角を現し、2012年のプロテストで一発合格。2014年には、「アクサレディス in MIYAZAKI」でツアー初優勝を果たすなど、期待の大型新人として2015年に大東建託とスポンサー契約を結びました。
2015年シーズンは「ヤマハレディースオープン葛城」「樋口久子 Ponta レディス」と2度の優勝、賞金ランキング日本人最上位(総合6位)と絶好調。「NEC軽井沢72」2日目にはアルバトロスとイーグルを達成し、「計算上は2341年に1度の確率」として大きな話題の的になるなど、スポンサー契約初年度から華々しい活躍ぶりでした。
大東建託の所属選手となり、二人三脚の歩みがスタート
大東建託は、2015年の創業40周年を機にLPGA公認「大東建託・いい部屋ネットレディス」を開催するなど、“情熱をもって挑戦するアスリート”を応援し続けています。そんな中、成長著しい渡邉選手をより一層サポートしようと2016年2月、所属契約を締結しました。
所属1年目の初々しい渡邉プロと大東建託の公式キャラクター・いいへやラビット翌シーズンから、渡邉選手は大東建託のロゴ入りキャップやウェア、キャディバッグ、雨傘を身に付けて国内外を転戦。所属プロとして、大東建託と二人三脚の歩みがスタートしたのです。
優勝賞金2,160万円、JLPGAツアーを代表するビッグトーナメント。2025年で10回目を迎えました。2023年からは、福岡県糸島市のザ・クイーンズヒルゴルフクラブで開催され、毎年熱戦を繰り広げています。
大東建託・いい部屋ネットレディス
試練期:不振に苦しむも自らを信じ抜き、5年ぶりV
プロとして順調に成長を続ける渡邉選手。2016年にはリオデジャネイロ五輪代表争いを繰り広げるも、その後試練の時が訪れます。
リオ五輪代表落選…… 試練の4年間を過ごす
リオ五輪で、112年ぶりに五輪競技に復活したゴルフ。代表枠「2」を巡る戦いは激戦となりました。渡邉選手は有力選手たちを猛追、代表決定前の最終戦「全米女子オープン」に臨みます。
しかし、その最終日、勝負をかけた1打は無情にも池に消えました。結果、代表枠にあと一歩及ばず、リオへの道は絶たれました。
五輪出場を逃した渡邉選手は、世界に通用するプレイヤーを目指し、「足りない自分」の強化に努めます。しかし、これが苦難の始まりでした。スイングの改良を試みるも、かえって調子を落とすことに。「今日は何個、ボールをなくすのかな?」と思いながら臨んだ試合もあったそうです。
その後、予選落ちが増え、2018年は賞金ランキング55位でシード落ち、2019年は115位。出口が見えない日々が続きました。
2017年シーズンの渡邉選手アース・モンダミンカップで涙の復活V
しかし、暗闇の中でも渡邉選手は逃げることなく自分と向き合います。新コーチを迎えるなど、新たなチーム体制を組み、調子を取り戻すと、自慢のドライバーショットに本来の輝きが戻ってきたのです。
コロナ禍で試合中止が続いた2020年、「奇跡の開幕」と言われたアース・モンダミンカップで、渡邉選手は思いっきりドライバーを振り続けました。そして、勝負は自身初のプレーオフへ。緊張に包まれながらも、1ホール目でバーディーパットを決め、見事5年ぶりの優勝。現地は無観客でしたが、多くのゴルフファンがネット中継を通じて見守る中、「ツアー屈指の飛ばし屋」が奇跡の復活劇を遂げたのです。
コロナ禍で、「3密」を避けられるスポーツとして注目されたのがゴルフです。若者や女性を中心に新規参入が増加してゴルフブームが到来。その後もラウンドデビューしたビギナーがリピーターとして定着し、よりファッショナブル&カジュアルに楽しむ人たちが増えています。

再構築期:所属10年目の節目。ホステスプロとして念願の頂点に
復活優勝を果たした渡邉選手は、慢心せず、さらなる勝利を追い求めます。
柔道家の小林悠輔さんとご結婚。ほけんの窓口レディースで「ミセスV」
2021年シーズンの渡邉選手。右腕には大東建託・いい部屋ネットのロゴ2021年、渡邉選手は、埼玉栄高の同級生で柔道家の小林悠輔さんと結婚。スランプに苦しんだ時期、常に支えてくれた人でした。翌2022年の「ほけんの窓口レディース」では、悠輔さんの目の前でプレーオフを制し、2年ぶりの優勝。初めての「ミセスV」の喜びを夫婦で分かち合いました。
プロ野球・福岡ソフトバンクホークス戦でセレモニアルピッチ
大東建託がスポンサーを務めるプロ野球・福岡ソフトバンクホークスの公式戦で、同じ所属の佐久間朱莉さん、後藤未有さんらと共に2年連続でセレモニアルピッチに登場。2023年はキャッチャーの頭を越える“大暴投”でしたが、2024年にはノーバウンド投球を披露し、球場を沸かせました。
(左から)後藤未有選手、佐久間朱莉選手、渡邉選手「大東建託・いい部屋ネットレディス」で念願の女王に
公私ともに充実していた渡邉選手に、再び試練が訪れます。調子を落とし、2023年にはシード権を喪失。ツアーを離れることも頭にはよぎりました。そんな中で励みとなったのは、周囲の人々の存在です。
先輩の上田桃子さんからは、「自分はやれるという気持ちがあるうちは絶対に強くなれる」とハッパをかけられました。オフの期間はハーフショットの練習や徹底的な素振りを続け、スイングスピードに磨きをかけていきました。

そして迎えた2025年7月の「大東建託・いい部屋ネットレディス」。最高位は2021年の2位の本大会。大東建託所属10年目、節目の第10回大会でホステスプロの責務を果たすべく、「何としてでも優勝したい」という想いが募ります。
首位と2打差の7位とトップを狙える位置で迎えた最終日の早朝、「やることをちゃんとやれば勝てるから大丈夫」と、悠輔さんからLINEメッセージが届きました。
大切な人たちからこれまでにもらった言葉を胸に、堅実なプレーで粘り強く戦った渡邉選手。見事な逆転劇で、3年2カ月ぶりのツアー優勝、ホステスプロとしての初優勝をつかみ取りました。コーチ、キャディー、家族、友人、そして大東建託の仲間たち……見守り、支えてくれた人たちの顔が次々と浮かび、涙を抑えることができませんでした。
成長止めず、さらなる高みへ
10年間、大東建託と共に歩んできた渡邉選手も32歳。20代前半、あるいは10代のライバルたちと日々、せめぎ合いながら、国内メジャーでの優勝を視野に、「まだまだやれる!」と向上心、闘争心を燃やし続けています。
そんな渡邉選手を、大東建託は変わらず支援していきます。皆さんもぜひ応援よろしくお願いします!




























